悲しい気持ち。

縄文杉の樹皮が、約10センチの円状に、また、細長く30センチ程誰かの手で切り取られてしまったらしい。

多くの人が声を上げているように、自分の中にも「憤り」と「悲しみ」が生じた。何千年も生きてきた巨木は、人と自然をつなぐ存在として、人間にとっても地球にとっても財産だ。だからみんなで大切にしてきたのだ。

最初にこのことを知ったときの感情は、自分の中の何かの感じ方に似ているとも思った。それは例えば民族紛争の話や、戦争の話や、信じられない犯罪が起こったときに感じる、『人同士でありながら、決して認められず、理解できないということへの恐ろしさ』を含んだものだった。だからこそよけい、「なんでこんなことを」と考えてみる。

切り取った人は、軽い気持ちだったのかもしれない。
記念だったのかもしれない。
あるいは、別の思い入れがあったのかもしれない。
販売目的だったのかもしれない。
騒ぎになって、ようやくこれが犯罪だということに気付いたかもしれない。


・・・たとえばもし、自分がその人だとして、どんな言い訳をするだろう?

 これが他の杉ならこれほど問題にならないだろう?あるいは無名の木ならどうだ?
 それぞれの植物の価値を決めているのも人ではないか?それはおごりではないのか?
 合法ならば植物にとって罪ではないのか?自然を敬っていると言えるのか?

 「かわいそう」なのは縄文杉か?
 縄文杉を大事にする気持ちを踏みにじられた人の心か?
 
…甘っちょろいだろうか。


そんなことをぐるぐる考えてたら、何だか憤りの気持ちよりも、自分へのため息と共に、悲しい気持ちがより強まった。「許せない」と真っ向から糾弾できる位置に、自分がいるとは思えない。その当事者とわたしとの間の距離は、どれほどなのか。

もちろん、こういうことが繰り返されていいはずはない。犯人には謝罪してほしいし、罪を償ってほしいと思う。オーバーユースの問題も含め、入山規制など、策を講じることも必要になってくるかもしれない。
ただ、それにより賑わいがなくなると、より助長する可能性もあるのかもしれない。
どちらかというと、悲しい気持ちで、そう思う。
結局、前回書いた「つながりを実感する力」が、今のわたしが行き着く地点だ。

3月に屋久島を訪ねたとき、久しぶりに弥生杉を目にした。やはり数年前にえぐり取られたその杉をノックすると、乾いた空虚な音がした。
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by yamaneko299 | 2005-05-26 20:18 | 自然

戯言は「たわごと」と読みます。
by yamaneko299
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