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TOUR 35

久々にキヨシローのライブに行ってきた。前回はアルバム「KING」が出たときだから、1年くらい前だったかな。このツアーはデビュー35周年記念と銘打っている。ちなみに今回のアルバムタイトルは「GOD」。 (…その次はどうなるんでしょう。)

このアルバムの中で揺さぶられた曲は1曲だけだった。あとはいいな、から響かないな、までいろいろ。

それでもライブに来ると、曲の印象が変わることがある。アルバムタイトル曲「GOD」では、今の世を見てどう思うのか、「そこからここに降りてきな」と歌うのだが、これは実際に言ってる(歌っている)人を目の当たりにすると、切実さが増した。

誰にも似ていない声が、会場を駆け回る。バンドの音のことはよくわからないが、分厚くて、安定していて、楽しかった。ばしっとかっこいいホーンセクション。持ち場をしっかり受け持つ大人なバンドだ。

ライブに足を運ぶと必ず、掘りおこされる。「それでいいのかい?」「そのままでいいのかい?」とキヨシロー(じゃなく、実際は自分)の声が、心の地面を耕す。『KING OF LIVE』 の秘密はそんなところにあるのかもしれない。かつては「よーし、変わってやる!」なんてきらびやかなステージに決意していたが、そんなのは会場を一歩出るとやってくる『日常』に萎えてしまうこともとうに知った。

それでもまた、耕されにいく。
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                  ↑場所が京都だったので。
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by yamaneko299 | 2005-05-31 00:45 | 音楽

ほんとうにはわかりあえないから。

掲示板に書かれてあった悲しいお知らせに、なぐさめの投稿がぽつぽつと寄せられている。それらはどれも、言葉に詰まりながら、それでも、と書かれている感じがする。ふと、以前読んだ
ほぼ日のダーリンコラムを思い出した。

一部抜粋すると、「人と人とは、ほんとうにはわかりあえない、と知る謙虚さがあって、はじめて、たがいに親切になれるんだと思う」と書いてあった。

今回の投稿には、そんな“謙虚さ”がにじんで見える気がした。

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by yamaneko299 | 2005-05-29 01:10

悲しい気持ち。

縄文杉の樹皮が、約10センチの円状に、また、細長く30センチ程誰かの手で切り取られてしまったらしい。

多くの人が声を上げているように、自分の中にも「憤り」と「悲しみ」が生じた。何千年も生きてきた巨木は、人と自然をつなぐ存在として、人間にとっても地球にとっても財産だ。だからみんなで大切にしてきたのだ。

最初にこのことを知ったときの感情は、自分の中の何かの感じ方に似ているとも思った。それは例えば民族紛争の話や、戦争の話や、信じられない犯罪が起こったときに感じる、『人同士でありながら、決して認められず、理解できないということへの恐ろしさ』を含んだものだった。だからこそよけい、「なんでこんなことを」と考えてみる。

切り取った人は、軽い気持ちだったのかもしれない。
記念だったのかもしれない。
あるいは、別の思い入れがあったのかもしれない。
販売目的だったのかもしれない。
騒ぎになって、ようやくこれが犯罪だということに気付いたかもしれない。


・・・たとえばもし、自分がその人だとして、どんな言い訳をするだろう?

 これが他の杉ならこれほど問題にならないだろう?あるいは無名の木ならどうだ?
 それぞれの植物の価値を決めているのも人ではないか?それはおごりではないのか?
 合法ならば植物にとって罪ではないのか?自然を敬っていると言えるのか?

 「かわいそう」なのは縄文杉か?
 縄文杉を大事にする気持ちを踏みにじられた人の心か?
 
…甘っちょろいだろうか。


そんなことをぐるぐる考えてたら、何だか憤りの気持ちよりも、自分へのため息と共に、悲しい気持ちがより強まった。「許せない」と真っ向から糾弾できる位置に、自分がいるとは思えない。その当事者とわたしとの間の距離は、どれほどなのか。

もちろん、こういうことが繰り返されていいはずはない。犯人には謝罪してほしいし、罪を償ってほしいと思う。オーバーユースの問題も含め、入山規制など、策を講じることも必要になってくるかもしれない。
ただ、それにより賑わいがなくなると、より助長する可能性もあるのかもしれない。
どちらかというと、悲しい気持ちで、そう思う。
結局、前回書いた「つながりを実感する力」が、今のわたしが行き着く地点だ。

3月に屋久島を訪ねたとき、久しぶりに弥生杉を目にした。やはり数年前にえぐり取られたその杉をノックすると、乾いた空虚な音がした。
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by yamaneko299 | 2005-05-26 20:18 | 自然

つながりを実感できる力

 どうやったら生き物やいろんなものごとが‘つながっている’ということを実感として持つことが出来るんだろう、とよく考える。そうすれば、争いや憎しみは随分減るだろうし、気持ちも穏やかになるんじゃないかと思える。やはり環境は大事なんだろうな。人は環境に左右される生き物だから、自分の身の置きどころを自分で意識して作っていこうとしなければ、環境オバケに飲みこまれてしまう。でも、そもそも環境が人を方向付けてしまうんだったら、いくら意識してもそこから抜け出すことも出来ないとも言えるのでは。混乱。

 いつものぐるぐる思考をちょっと刺激してくれる文章を見つけた。「風の旅人編集だより」5月15日分『ユーリー・ノルシュテインの仕事』。

 『ノルシュテインのアニメーションは、身体の内と外の“呼応”を呼び起こす力がある』と筆者は指摘している。そして、『(外の)世界は微妙なディテールの積み重ねのなかで成り立っており、大切なことは、その手応えを引き寄せることだ。』と書いて、『知識情報だけを切り取って伝達することにかまけることも、「外の世界の微妙な細部を見ず、自分の頭の中に閉じこもって、作っている」ということになるのではないか。』と、昨今のクリエーターたちについて述べている。(切り貼りの文章になってしまって申し訳ない。原文を読んでください。)

 『身体の内と外の“呼応”を呼び起こす力』
 『世界は微妙なディテールの積み重ねのなかで成り立っており、大切なことは、その手応えを引き寄せることだ』

 これって、‘つながりを実感できる力’に通じるよね。
 世界は細部の積み重ねで、わたしや、わたしの身の回りのできごともまた、世界の(ごくわずかでも)一部。それらが寄り集まって、関係し合って、大きな球の上に乗っかっている。それなら、自分の日常を大事にして、幸せを見つけていくことって、すごく意味のあることだなーと思えてくる。幸せは主観的なものなので自分のものさしが鍛えられるから、‘手応え’も得られやすい。そんな体験を繰り返すうち、実感力もついてくるのではないかしら。

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by yamaneko299 | 2005-05-22 12:27

ぼやき。

 日曜日の夕立はすごかった。天気予報では晴れいっこマークなのに、次第に空があやしくなってきて、急いで洗濯物をとりこんだ。でもぎりぎりまで「天気予報は晴れだったから大丈夫では?」と思っていた。目の前で変化しているのにね。

 激しい雨は夏のような日射しのためか。雨が止んで出かけると、むあっとした熱気。蒸し暑い。やはり夏っぽい。

 トラコさんが実行委員をしている「いのちのつながり」というイベントに出かけた。パネルトークには間に合わなかったが、第2部の小田原のこども能と、「タムタム」というグループのジェンベ演奏を楽しんだ。こども能はこの世とあの世の境目みたいで、こども達がなんだか不思議な存在感だった。能に殆ど触れたことがないのでもともとどういう感じのものかわからないが、それ自体が「つなぐもの」として映ったから、よしとしてもいいのでは、と。

 出がけにちらりと鳥越さんのニュース番組を見ていたら、ベトナム戦争での枯れ葉剤や湾岸戦争での劣化ウラン弾が、今まさに子や孫の代に奇形をもたらしているとして、紹介されていた。こういうとき映像の力は衝撃的。頭が膨らんだ子や、顔が魚のようにひしゃげてしまっている子、手足が曲がりくねっている子、脳性麻痺。ベトさんドクさんの近況も知らされた。(ちなみに、枯れ葉剤も劣化ウラン弾も、そもそもは日本を標的にしていたとか。)

 今も例えばイラクでは、子どもたちの遊び場になっている放置された戦車からは、高濃度の放射線が検出されているらしい。戦争というのは、人類を根絶やしにすることが目的かと思う。

 イベントの帰りに、受付で売っている冊子を一冊買って帰った。それによれば、巷の食べ物や環境により、人類はこれから高齢化どころか、短命化の一途をたどるという。今の80余歳という平均寿命は、その人たちの生きてきた時代の生活様式を前提としたもので、何でも昭和34年生まれくらいから短命化はスタートしているらしい。子育てなんかは産まれる20年前から始まってると記されていたのが、さっきのテレビの映像と被った。やはり、つながるいのち。

 死体も昨今食べ物の影響で腐りにくくなっていると聞くしなぁ。環境問題同様、食生活についても警鐘鳴りっぱなしがあたりまえになっていて、逆に聞こえにくくなっているのかもしれない。

 例えば短命化が明白になった頃、ようやく大きな流れが起こるのか。ならばそれもまたよしだな、と思ったりするけれど、あのテレビが伝えていた性懲りのなさは、根が深いような気がして、何だか久々に暗澹としてしまった。
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by yamaneko299 | 2005-05-18 00:38

そして…

はなが何か見つけてきました。あなたにくれるそうです。  だって。 

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by yamaneko299 | 2005-05-17 00:33

夜の散歩。

はなちゃん、夜のお散歩ね。

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by yamaneko299 | 2005-05-15 00:38

リース

 実家に帰ったとき、うねうね茂っていた植物でリースを作った。ハーブの香りがして、トイレがなかなかにすがすがしい。母はローズマリーと言ってたが、本当だろうか。違うような気がする。
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これに花や実をくっつけていく予定だが。
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by yamaneko299 | 2005-05-12 00:09

さくらんぼ。

職場の隅で、さくらんぼの小木がたわわに実をつけていた。かつて小さな雌雄の苗をいただいて、植えたものだった。毎年ゴールデンウィークの頃に実るはずだが、どうも小鳥のお腹におさまってしまっているようだった。

でもなぜか今年はその難(?)を逃れ、赤いドレスを纏うように立っていた!

今年はたくさん人の口に。種をぷっぷと飛ばしつつ、小粒ながらしっかり甘い実を味わった。随分長い間連絡を取っていないその人の、ほころぶ顔が浮かんだ。あれから随分経ってしまった。

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by yamaneko299 | 2005-05-09 23:56

眼球体操。

 2週間ぶりのヨガ。月が変わって新たなクールに入っていたのでまたやりにくくなった。

 しょっぱなはなんと「眼球体操」。正座して手を腰に当て、誘導に従って瞳を上下左右斜め上下さらにぐるりと動かしていく。眼精疲労などに効果があるらしく、そういう意味ではかなりありがたいんだけど、「本当にこれってヨガ?」と、思わずいぶかしんでしまった。 (基本的に各ポーズについて身体各部位への効果が明示される。)

 想像してみて。約50人の老若男女が正座して真剣に目ん玉のみを動かしているところを。わたしはかなり笑えてしまい、思わず自分はやらずにあたりをそれとなくうかがってしまった。

 ところで。

 今日は何だか精神的によい状態で出来たような気がする。

 開始時は前のエアロビと入れ替わりで、その人たち運動後だからテンション高くて、扉前でわいわいとやる。こっちは静かに屍のポーズでスタンバイしてるのにおかまいなしだ。

 いつもなら 「っせーな!」とか心の中で悪態ついたりもするのに、今日は全然気にならなかった。それどころか、「楽しくてよかったね~」とか思ってしまった。また、いつまでもスタンバイしないで世間話している女性たちのことも、「今日も笑ってしゃべって何よりですね~」てなモードで流していた。どうしたことでしょう?(笑)
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by yamaneko299 | 2005-05-09 00:41 | ヨガ・カラダ

戯言は「たわごと」と読みます。
by yamaneko299
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本家:ねこからの手紙
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屋久島写真★Studiof32
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オ~ッ君の東京散歩
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